妻殺しの容疑をきせられた医師リチャードが、警察官の捜索をかいくぐり、真犯人を追っていく。
果たしてこの事件の裏に隠された事実とは!? TVシリーズとして50年〜70年代にかけて海外ドラマとして放映。
あれよあれよと言う間に目まぐるしく展開が変わり、2時間10分という放映時間が短く感じられました。
ハリソン・フォードの映画は、どれもテンポが良くて感情移入がしやすくて面白いですね。
何度が定期的に訪れる山場のシーンがとてもスリリングで刺激的。
これも脱獄犯として追われる立場から、追う立場へと変貌し、終始警察から捕まる危険性を孕んでいる為の
もの。せわしい町の喧噪、プライバシーと言う名の他人の領域には決して入り込まない無関心な現代社会
と言った如何にも現代社会っぽい特徴を上手く舞台に盛り込み、都心におけるコンクリートジャングルでの追
走劇は、いろんな意味で楽しめます。
この映画では、主人公二人の人間性に迫る演出が至るところでなされていますよね。
この主人公に関わる人物を限りなく腑抜けたような、ある意味機械的な対応しか見せないようにしたことに
この二人の人間性が浮かび上がらせています。
追われる側の医師・リチャードは、妻殺しの容疑を着せられるわけですが、殺しの動機は
全くといって無く、警察の対応といったら、それはもう酷いです。シカゴ警察の事情徴収、
そして護送される際の看守の人間性を問うような無責任な態度。更に、後の逃走劇(追
跡)中に子供を助けるシーンでは、ハリソンとは対称的に無能な医師さえ出現させてい ます。
逆に追う立場の連邦保安官のジェラード。脱走者を捕まえると言う事に妥協せず、如何
に固執しているかが伝わってきますが、この自分の職務に忠実な人物像を作り上げた反
面、追跡劇中に周りの味方とも言うべき警察官たちの間抜けさを見せつける事で、容疑
者を逮捕することで、逆に無実を証明する為に捕まえるという事を捜査劇の中でも見えて きます。 |
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そもそもこの映画では、追う立場が有能である事と、更にはそれを上を行く逃亡者像が必要です。
容疑者は、”逃げる”だけでなく”追う”仕事を同時にこなさなければなりませんからね。
容疑者不明の中で、病院のコンピュータリストの中から、容疑者を特定するために条件を絞っていくのですが、
弾き出された数値の差が、まさにこれを証明しています。
また冒頭のリチャードの殺しに関して、如何にその動機と容疑者を隠していくかにこの映画のおもしろさが 詰まっています。
個人的に脇を固めている俳優の中に、ジョー・パントリアーノやジュリアン・ムーアなど魅力的な俳優さんを
使っている事は嬉しいのですが、映画では主人公の二人だけのドラマとなっていて、あくまで脇役は脇役で
しかない所もこの映画の魅力ですね。
アカデミー賞では、作品賞、撮影賞、作曲賞、音響効果編集賞、編集賞、録音賞にノミネートされましたが、
受賞したのは、助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ)のみ。
更に、LA批評家協会助演男優賞とゴールデン・グローブ助演男優賞を受賞しました。
編集賞くらいはあげても異論は無いような気がしますが、この年のスピルバーグとピアノ・レッスンは強かった です(笑)
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